明治から始まった「二元論」
明治以降、日本は近代国家をつくる過程で、
多くの物事を二元論的に整理していった。
- 神と仏を分ける(神仏毀釈)
- 神道を一元化する(国家神道)
- 神社参拝の形式を定める(二礼二拍手一礼)
- 議院内閣制の導入
- 与党と野党
- 右翼と左翼
- 国家神道という枠組み
どれも、国家としての統一性や効率を高めるために
必要とされた制度だった。
その意味で、
明治の二元化は「間違い」ではなかった。
それでも、消えなかったもの
けれど、
制度として整理されたその一方で、
消えなかったものがある。
制度の上では切り分けられ、
教科書の中では単純化されたかもしれない。
それでも、日本人の心の奥には、
もっと曖昧で、もっと重なり合った感覚が
文化として残り続けてきた。
- 神か仏か、ではなく
- どちらも手を合わせる
- 正しいかどうかより、
とりあえずやってみる
「どっちつかず」という、日本的な強さ
日本人はよく、
「どっちつかず」と言われる。
けれどそれは、
優柔不断なのではなく、
二元に回収しない態度だったとも言える。
- クリスマスも祝う
- ハロウィンも楽しむ
- 節分もやる
- 七五三も行う
- お盆には先祖を迎える
宗教として厳密に整合しているわけではない。
けれど、生活としては自然に共存している。
ごちゃまぜではなく、「三つ巴」
この在り方は、
無秩序なごちゃまぜではない。
- 一つに統一しきらない
- どれかを排除しない
- 必要に応じて役割を変える
そうした三つ巴的な構造だ。
対立を決着させるのではなく、
重ねたまま続ける。
日本は、
制度としては二元論を取り入れながらも、
文化の深層では
この三つ巴の感覚を手放さなかった。
だから今、もう一度
だからこそ今、
生活や経済の仕組みを考えるとき、
日本では自然に
「切り分けて、共存させる」という発想が生まれる。
二元論で勝ち負けを決めるのではなく、
構造を分け直して続ける。
それは新しい思想ではなく、
ずっと内側に残っていた感覚の再発見なのかもしれない。